みんな今朝の『おはよう日本』見た?
ついにミニマリストがテレビに特集されちゃったね!
オフ会に来てくれた佐々木さんがテレビの中でも全く同じ佐々木さんで、なんか不思議な感じでした。
それで、ちょうど僕も佐々木さんの『ぼくモノ』を読み終わったとこだったから、自分なりにミニマリストって何だってことを考えてみようと思った次第。
まぁ基本的には、「その人が思った通りに好きなようにやれば良いんじゃね?」と思ってるから、定義付けしたいとかじゃなくて、あくまで自分がこのミニマリストというものを知って生活へ取り入れることによってどうなりたいのかみたいなことを書いてみたいと思う!
そもそもミニマリストにも色々あって、「へー、そういう生活があんのか」っていう人から、「我が生活に一片の隙無し」みたいな人までいるわけじゃん?
ミニマリストっていう生き方があることを耳にして、自分の持ち物を見直してみる。不要なものを捨てていく。何かモノを買う場合には、それが本当に自分にとって必要なものなのか慎重に吟味するようになる。それが進むとそこで培った目が”モノ”から次第に生活全般へと広く向けられるようになる。
みたいに段階的に進んでいくと思うんですよ。
で、この見方というか考え方というのは、突き進めていけばいくほど、どんどん自分の内側に向いていくと思ってるわけです。自分軸がどんどん出来上がっていくというのかな。
もちろん初めは、「あの人はあんなにスッキリ過ごしているのに私は…」といった他者との比較でスタートさせているかもしれない。でも進めていく上で「自分にとってこれが必要かどうか」「自分はどう生きていきたいのか」という方へシフトしていって、どんどん自分軸になっていく。軸が自分の中に出来上がっていくから、他人に振り回されなくなる。すると、他人の考えや主張に対しての器が大きくなるというか、良い意味で客観視できるようになる。
で、最終的にどうなりたいかというと、
『人を批判しなくなる』
というところに行き着くと思っています。
というか僕はここを目指してミニマリストという生き方を続けたいと思ってる。もちろん初めからそう思っていたわけではなくて、最初はただただモノを減らして快適~♪というところからはじまって、徐々に生き方や考え方の方にシフトしていってる感じ。で、たぶんなんだけど、少し穏やかになってる。
何に対しても文句ばっかり言って批判的な人とか、いつもイライラしてる人とか嫌じゃないですか。
『ぼくモノ』の第4章で「集中力が高まる。自己に徹する」という項目があるんだけど、ここが共感できました。
自分の中に考え抜いた芯みたいなものができあがるから、他人の言動に対して寛容になれるというか。周りに惑わされなくなるというのかな?決して他者に関心を持たなくなるというわけじゃなくて、ちゃんと受け止めたうえで消化し、それに対して心乱されない。
ミニマリストに関心がある人たちの中に、ヨガや瞑想を行う人が多いのはこういった理由もあるのではないかと思います。
こう書くと、よく言われている「モノを減らすのは目的ではなくてあくまで手段だ」というのが良く分かります。
自分軸で生きて他者を批判しないという生き方は別にミニマリストじゃなくてもできるわけで、ミニマリストはあくまでそこに行き着くための手段の一つということ。
減らすのを目的にしてサバイバルな感じになるのも楽しいですけどね(^^)
最後に『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』の書評的なことを少し。。
読んで一番良かったと思ったのは、ミニマリストという生き方を多少なりとも自分なりに言語化できるようになったということでしょうか。
僕は自分から積極的に人に対して今のライフスタイルを話すことはないんだけど、毎日同じ服を着ていたり普通は持っているものを持っていなかったりすると、嫌でも聞かれるわけ。
「どうして?」「なにそれ?」と。
そんな時、何と説明すれば良いのかうまく言葉にできないわけです。
『ぼくモノ』には、共感するかしないかは置いといて、あらゆる考え方が述べられていて、興味・関心がある人ならば「そうそう!」っていう部分が一つは絶対あると思います。それは自分の持つ考えを言語化する手伝いをしてくれると思うんです。
今聞かれたら何と答えるかな?
「モノに振り回されず、心穏やかに過ごすためにやってます」とかかな?
なんか余計あやしさが増した感じがするけど。笑
それにしても、まわりの人たちはテレビの影響なのかアクセスをガンガン伸ばしてるみたいで羨ましいぜ。
僕のブログ『ミニマリスト』で検索しても全然出てこないんだよなー。ブログタイトルがミニマライズだからかな?
おっと、いきなり人と比べちゃってるな。
というか最近はもっぱら日記ブログになってるから、『ミニマリスト』でたどり着いちゃうと何だこれと思われそうですけどね。